10・01 いつも忙しいんですが、最近は人生最大の忙しさである…。10月3日(月)に、すごい話を発表します!。載せたいネタを載せる時間がないので、落ち着いたらたくさん載せます!。

明日から、ウーマンズですね。
出場選手の皆様、頑張ろう!!。


NEWS
『アテネ五輪競泳女子800メートル自由形の金メダリストで、鹿児島県の鹿屋体育大に通う柴田亜衣選手(22)に30日、鹿児島県の伊藤祐一郎知事から「県民栄誉表彰」が授与された。柴田選手の希望で記念品は薩摩切り子のおちょこ。鹿児島県特産の屋久杉の木箱に入り、五輪マークにちなんだ5色のもので、柴田選手は「かわいいしきれい。部屋に飾ろうと思います」などと喜んでいた。』


NEWS『28日に閉幕したアテネパラリンピックの日本選手団の解団式が29日、アテネ市内のホテルで行われた。選手団のほか、現地のボランティアも参加。在ギリシャ日本大使館の望月敏夫大使が「誠心誠意戦った皆さんの姿は美しい。日本人自身を力付けてくれた」とあいさつし、乾杯の音頭をとった。 会場にはいくつもの歓談の輪ができた。39歳で初出場を果たし、3個の金メダルを獲得した陸上男子の高田稔浩選手は、普段から大好きなビールをアテネ入り後は初めて口にしたとあって、「おいしい」と話し、うれしそうだった。 日本選手団は10月1日早朝にアテネをチャーター機で出発。日本時間の2日未明に東京・羽田空港に到着する。』


NEWS『アテネ五輪の競泳男子平泳ぎで2冠を獲得した北島康介(22)=東京SC=ら都内に居住する金メダリスト6人が30日、都庁で行われた東京都栄誉賞の表彰式に出席した。北島は昨年、石原慎太郎都知事(72)に、同五輪での金メダル獲りを宣言し、見事に果たしての再会。同知事も「焼き肉をごちそうする」というご褒美を改めて誓い、“男の約束”を実現させる構えをみせた
★“男の約束”は実現させる
1年前に交わした約束を守り、北島が胸を張って石原知事の前に戻ってきた。この心意気が、伝わらないわけがない。同知事は改めて“公約”実現に向け、最大の努力をすることを明言した。男の誓いは、昨夏にされた。昨年7月の世界選手権(バルセロナ)で2冠を獲得した北島が知事を表敬訪問した際、「アテネで金を獲ったら、焼き肉を3年分をおごる」とハッパをかけられた。もちろん、知事も忘れてはいない。だが、公人の立場から資金の出所には法的な制約がある。「ポケットマネーから出すと、選挙法違反になるらしいから、別の方法を案じますよ」。無償の提供者を待つか、あるいは、石原知事ならではの“爆弾アイデア”が飛び出すのか。なんらかのかたちで“食事会”を実現させるという。この言葉に、北島も感激。「そう言ってくれたので、(食事に)行けるならぜひ」とニッコリ。記念撮影の際は、知事から「あなた(北島)の家はお肉屋さんだって?おごりがいがないかな」と、冗談で声をかけられるなど、すっかり打ちとけた再会となった。また、知事は「われわれの同胞が優勝する瞬間に、わたしたちが味わうエクスタシーは興奮の結晶。胸にストレートに響いてくる感動を与えてくれた」と祝辞を述べ、初めて制定された東京都栄誉賞には、6人に副賞として賞金の目録も授与された。金額は2冠を制した北島が50万円、ほかの5人には各30万円が贈られた。北島は「海外合宿などに使えたら」と、あくまで水泳中心。知事の公約実現を楽しみに、次への目標へ泳ぎ出す。(結城正)表彰式には柔道勢を中心に、東京在住の金メダリストが出席。柔道男子100キロ超級の鈴木桂治(平成管財)は「来年の世界選手権からは、100キロ級で真の世界一を目指します」と、井上康生と同じ、本来の階級で勝負する決意を改めて表明。6月に長男が誕生したばかりの同66キロ級・内柴正人(旭化成)は「賞金で妻に冷蔵庫をプレゼントして、あとはミルク代です」と笑いを誘っていた。また、石原知事は、警視庁警部補の阿武教子に「2階級特進したの?」の声をかけ、1階級とわかると、「ケチだね、警視庁は」とチクリ。』


NEWS『スポーツで全国的な活躍をした選手に贈られるメダル栄光と国体栄誉賞の授与式が28日、県庁であった。ボート競技少年男子シングルスカルで久村将選手(17)が両賞を、水泳競技少年女子Bバタフライで狩俣有希選手(15)が国体栄誉賞を受賞し、二井関成知事からメダルが贈られた。二井知事は「今後も練習に励み、世界で活躍できる選手に成長して下さい」と激励した。メダル栄光は国際大会でメダル獲得などの活躍をした選手に、国体栄誉賞は国体1〜8位入賞の選手に贈られる。水産高3年の久村選手は、今年のアジアジュニア選手権で2位、高校総体で優勝し、国体でも2位に輝いた。同高のボート部員で、豊田湖(豊田町)で毎日2時間の練習に励む。「今までの頑張りが評価されてメダルを受けることができ光栄」と喜びを語った。下松市立末武中3年の狩俣選手は、水泳コーチの父英利さん(40)の影響で3歳から水泳を始めた。国体では百メートルバタフライで3位に輝いた。「国体の経験を生かして練習し、北京五輪に出たい」と抱負を語った』




09・30 先日行われた、35歳以上の国体スポーツマスターズ2004」の結果が出ております!。う〜ん、種目によっては金メダルがとれそうだ…。来年出てみよう!!。

NEWS
『第12回アテネ・パラリンピック夏季大会は28日、当地の五輪スタジアムで閉会式を行い、12日間にわたる障害者スポーツの祭典が幕を閉じた。 日本は金17、銀15、銅20の計52個のメダルを獲得し、金メダル数とメダル総数で1988年ソウル大会の最多記録を更新した。メダル獲得1位は、4年後の2008年に次回大会を開催する中国(金63、銀46、銅32)の計141個で、前回のシドニー大会から大きく躍進した。 閉会式は交通事故で死亡した高校生を追悼するため、短縮された。パラリンピック旗がアテネから北京に手渡され、12日間燃え続けた聖火が静かに消えた。 日本選手団は29日に当地で解団式を行い、10月2日に帰国する。』


NEWS『28日、アテネ・パラリンピックの全試合を終えた日本選手団が会見を行い、金メダリストらを中心に、それぞれ今大会の感想を語った。以下は、河合、成田、奈良、梶原、藤田ら水泳代表のコメント。
■河合純一(水泳)「まとまりのあるチームが結果を生んだ」
 僕は50メートル自由形で金メダルを取ることをできました。水泳チームとしては、金8、銀6、銅9と、メダル23個を獲得することができました。とても喜ばしく思っております。水泳チームとしては、選手数も過去最高の人数で、チーム作りの面で苦労があったかと思います。それは、監督、コーチ、選手たちが意識して、取り組んできた問題です。しかし、その中でどの国よりもまとまりのあるチームとして、9日間の競技(水泳)を乗り切ったことが、今申し上げた結果につながったということを確信しております。まずうれしかったことは、初日に柔道の藤本(聡)君が金メダルを取ってくれて、彼は僕と同じ年で、アトランタからでの同友でもあるのですが、毎回最初に金メダル取って必ず水泳チームに見せに来てくれるのですが、今大会も来てくれて、「これで水泳も勢いに乗れるね」と言って、翌日の競技スタートからうまくいくことができました。しかし、その金メダルを見せてもらって、僕自身が手にするまでに時間がかかるというのもパターンで(会場・笑)、最終日前日までなかなか取れずにマスコミの皆さんには『痛恨のミス』だとか『100分7秒に泣いた』とか、いろいろと書いてもらっていたので、最後に金メダルを取って、どんな記事になるかと楽しみしていたら、『土壇場で金!』と。なかなか楽しませてもらいました。アテネという土地に来て、子どもたちへのメッセージも含めて、自分の中では十分伝えきれたのかなと思います。今後、水泳も含めた障害者のスポーツの発展のために、みなさんのお力添えをいただきたいと思っています。
■成田真由美(水泳)「ずっとずっと報道を続けていってほしい」
 個人種目で6個、リレーで1個の金メダルを取ることができました。内、6つが世界新記録と、シドニーで出した自分の記録を塗り替えることができました。みなさんから、どのメダルが一番うれしかったかと聞かれたのですが、どのメダルもうれしいです。ただ、ひとつだけ平泳ぎで世界新を出せたことは、私の中でも特別だったのかもしれません。というのは、アトランタではメダルが取れない種目で、シドニーでは2位でイギリスのマギー(マギー・マクレディ)に負けてしまっていた種目だったので、本当にマリーが持っていた記録を敗れたのは良かったです。あとは、個人種目のほかに200メートルリレーで世界新で金。4×50メートルメドレーリレーで銅メダルと。4人の力を合わせて取ったメダルに、本当にまた4倍の喜びになってよかったと思います。日本で、私たちのことがどのように報道されているのか分かりませんが、本当に日本の皆さんの注目度が、毎回高まっていることに感謝したいと思います。終わってしまったことではなくて、ずっとずっと報道を続けていってほしいですし、また私たちも競技を続けていく中で、みなさんに伝えられるものがあればいいなと思っています。「まだ、パラリンピックが終わってはいない。みんなで日本に着くまでは、試合が続いている」と思っていますので、それまでは気を緩めずにしっかりしていかなくてはいけないと思います。競技は昨日で終わりましたので、残されたわずかな時間を使って、買い物に出かけたいなと思っています。
■奈良恵里加(水泳)「心をひとつにして獲得できたメダル」
 今回、2大会連続出場で、個人種目では100メートルと50メートル自由形で銅メダルを獲得できました。シドニーの時は、残念ながら体調を崩して途中帰国してしまい、悔しい思いをしたのですが、今回はこのような結果を出せて、すごくうれしく思います。金メダルはフリーのリレー(女子200メートルリレー)で、この4人のメンバー(成田、奈良、梶原、藤田)が心をひとつにして獲得できたメダルであるということで、一段と重いメダルになりました。ありがとうございました。
■梶原紀子(水泳)「チームのみんなにエネルギーをもらった」
 個人種目ではメダル獲得はできなかったのですが、ここに並んでいるみんなの力を借りて、フリーリレー(女子200メートルリレー)とメドレーリレー(女子4×50メートルメドレーリレー)でそれぞれメダルを獲得することができました。チームのみんなには、すごくエネルギーをもらって、とてもよかったことだと思います。日本の皆さんからは、アテネに来る前からメダル、メダルと言われてきて、今回、アテネの競技に臨んだわけですが、個人種目では悔しい思いもしましたが、同じ日に2つの気持ちを経験できましたので、これからの練習に役立てていきたいと思います。今回、水泳チームがわきわきあいあいとした、団結力あるチームになって、この一員としてアテネパラリンピックに来れたことを非常にうれしく思います。ありがとうございました。
■藤田多佳子(水泳)「感動を与えられたならうれしい」
 個人的な感想になりますが、水泳というのは個人競技でありますが、リレーでメダルを獲得することができたというのは、4人で励ましあいながら大きな力を出せたということで、私にとってかけがえのないメダルだと思っています。シドニーで初出場して、今回は2回目になりますが、この4年間やってきた努力とそれを支えてくださった皆さん、コーチとか応援してくれた皆さんに感謝したいと思いますし、名前も存じ上げない皆さんが、私たちの競技を見て、何か感動してくださったならば私はとてもうれしいなと思っています。これからも人のつながり、特に今回の水泳チームは13歳の方から年齢も幅広かったのですが、とても仲良くこれて、そのような人のつながりが私の大きな支えになったので、それを大切にしていきたいです。どうもありがとうございました。 』


NEWS『1人で7個の金メダル獲得と、前回のシドニーに続いて驚異的な活躍を見せた競泳の成田真由美。閉会式は3度目とあって、「毎回、閉会式は節目だと思っている」と落ち着いた口調。交通事故で死亡した7人の高校生のための“追悼ムード”には「それは大切なこと」と淡々と話した。ただ、閉会式後の恒例となっていた、選手同士の持ち物交換まで低調になったことには残念な様子で、「もっとシャツを交換したい」と、選手たちが引き揚げ始めた競技場を最後まで車いすで走り回っていた』


NEWS『あすから、川崎市民ミュージアムで公開−−三段跳びの南部さん、水泳の前畑さんの雄姿も川崎市民ミュージアム(川崎市中原区)は、東京五輪40周年を記念して開催中の企画展「スポーツの祭展」で30日から、写真家の故宮武東洋さんが1932年のロサンゼルス五輪で撮影した写真を公開する。宮武さんは第二次世界大戦中の日系米国人の暮らしを記録したことで知られる。金7銀7銅4とメダルラッシュに沸いた大会が、克明に記録されており、同ミュージアムは「戦前の五輪を記録した写真がこれだけ残っているのは大変珍しい」と話す。宮武さんは、1895年に香川県で生まれた。1909年、高校4年で渡米した。ロサンゼルスで写真館を開いていたハリー重田に師事し、写真技術を学んだ。第二次大戦中は「敵性国民」として3年半、カリフォルニアのマンザナー日系人収容所に強制収容される迫害を受けながら、同収容所で暮らす日系人の生活をカメラで記録し続けた。今回公開する写真は、ロサンゼルス五輪の原画約40枚。同大会で朝日新聞社の委嘱を受けた宮武さんは、報道カメラマンとして活躍。船で輸送された写真が、初めて紙面を飾るのは撮影2週間後だったという。それでも当時は「およそ想像し得るスピードの限りを尽くす」と紹介された。写真公開では、三段跳びで世界新記録を出し、金メダルを獲得した南部忠平や競泳で銀メダルを獲得し、36年のベルリン五輪では金メダリストとなった前畑秀子など往年の名選手の活躍する様子を一堂に展示する。1月16日まで。観覧料は一般500円、学生300円、65歳以上・中学生は無料。問い合わせは市民ミュージアム(電話044・754・4500)』


NEWS『日本新聞協会と加盟新聞・通信・放送18社は10月16日、第57回新聞週間の関連行事「記念の集い」で、公開パネルディスカッション「私のアテネ五輪−選手の思い、記者の思い」を横浜市で開く。柔道100キロ超級で金メダルを獲得した鈴木桂治選手、水泳200メートル背泳ぎ銅メダリストの中村礼子選手、陸上男子400メートルリレーで4位に入賞した末続慎吾選手を招き、五輪での活躍を振り返る。また、現地で取材した新聞記者も加わり、取材の裏話などを紹介する。』





09・28 ようやく10月のスケジュールが出来ました。「スケジュール」「個人レッスン」「長距離練習会」「飛び込み練習会」をUPしました。携帯用サイト「スケジュール」もUPしました!!。

「あらいSS★NEWS&スケジュール10月号」を配信しました。
10月から、ついに、日本一のプール、あの、「東京辰巳国際水泳場」を利用します!!。


NEWS
『アテネ五輪競泳の男子100、200平で2冠に輝いた北島康介(22)=東京SC=も祝賀会に出席。水連からもらった報奨金200万円の使い道は「考えてなかった」と、時間をかけて考えるという。また、来春3月、日体大卒業後の進路について、「大学院にいくのもいいし…」と、思案中。平井伯昌コーチは「大学院? たぶんそうなると思います」。 』


NEWS『日本オリンピック委員会(JOC)が、アテネ五輪での日本代表選手たちの活躍を記念した「GOLD MEDALLIST COLLECTION」を27日から発売した。初日発売の競泳・男子200メートル平泳ぎの北島康介(21=日体大)を皮切りに、計16種類。1日1種限定発売で、全国のam/pm、サークルK、サンクス(一部店舗を除く)で購入でき、27日発売の第1弾メダル購入者には、特製アルバムがプレゼントされる。販売スケジュールは、http://gmedal.jp。問い合わせは、JOCゴールドメダリオン事務局=電話03・5956・3306(平日午前10時〜午後6時)まで。』


NEWS『日本水泳連盟は27日、東京都内のホテルでアテネ五輪の祝賀会を開き、競泳男子平泳ぎの100メートル、200メートルの2種目を制した北島康介(日体大)、女子800メートル自由形金メダルの柴田亜衣(鹿屋体大)らが参加した。日本水連は席上、今回のメダリストに対する五輪特別表彰を実施。林利博会長が選手に賞状と報奨金に相当する「金一封」(金メダル200万円、銀メダル100万円、銅メダル50万円)を贈った。』


NEWS『アテネ五輪競泳女子八百メートル自由形の金メダリスト、柴田亜衣選手(22)=鹿屋体育大学=が、徳島市や藍住町のスイミングクラブで、子どもたちに水泳の指導をした。このうち同市北田宮のOKスポーツクラブ田宮のプールでは、近くの城ノ内中学の1年生120人を前に四百メートルの水泳を披露。メダリストの力あふれる泳ぎに、子どもたちは目を輝かせて見入っていた。生徒代表の5人がクロールの泳ぎの指導を受け、柴田選手は「頭をぐらぐら動かさないで」「しっかりと水をかいで」などと熱心に教えていた』


NEWS『アテネ五輪シンクロナイズドスイミングのデュエットとチームで銀メダルを獲得するなど日本のエースとして活躍してきた立花美哉(29)と武田美保(28)=ともに井村シンクロク=が27日、東京都内で記者会見し、今季限りでの引退を正式に表明した。 立花と武田は1996年アトランタ大会で五輪に初出場し、チームで銅メダル。97年からデュエットのペアを結成し、2000年シドニー五輪とアテネ五輪のデュエットとチームで2大会連続銀メダルを獲得、五輪で日本女子選手最多の5個のメダルを手にした。 01年世界水泳選手権(福岡)では競泳など全種目を含めて日本勢初の優勝を飾り、02年オフにアテネ五輪まで現役を続けることを決意していた。記者会見で立花は「最高の選手生活を送れた」と、武田は「納得できるものが五輪で出せて、ピリオドが打てると感じた」とそれぞれ話した。
立花美哉「(武田とデュエットを組んだ間は)1年1年成長できた8年間だった。今後については模索中。やりたいこともはっきりしていない」
武田美保「(アテネ五輪を終えて)気持ち良くピリオドを打てるなと思った。近い将来ではないが、海外で(シンクロのショーの)アーティストとして挑戦していきたい」
◆立花 美哉(たちばな・みや)3大会連続出場した8月のアテネ五輪では、デュエットとチームで2大会連続の銀メダルを獲得した。大阪・四天王寺高出。170センチ、57キロ。京都府出身。29歳。
◆武田 美保(たけだ・みほ)97年から立花美哉とデュエットのペアを結成。立花とともに8月のアテネ五輪で3大会連続メダル獲得を果たす。立命大出。165センチ、55キロ。京都府出身。28歳。 』


NEWS『アテネ・パラリンピック第11日、27日(現地時間)の競泳最終日に行われた女子50m自由形(運動機能障害3)決勝、成田真由美が前回シドニー大会で出した自己の記録を100分の1秒縮める39秒22の世界新記録で、今大会7個目の金メダルを獲得した。成田はこの種目の後、女子4×50mメドレーリレー(運動機能障害)に出場し、銅メダルを獲得。8冠はならなかったが、8種目で金7、銅1、計8個のメダルに輝いた。以下は、7個目の金メダルを獲得した直後の成田選手の談話。
■成田真由美「あきらめないで泳ぎ続けてよかった」
――7個目のメダル獲得です
メダルの数にはこだわっていなかったのですが、今回、本当に調子がよかったと思います。泳ぐたびに世界新を更新できたので、あきらめないで泳ぎ続けてよかったと思います。
――あきらめずにというのは
この4年間振り返って、いろいろな出来事があった中で、もう一度アテネを目指したいと思い始めて、ここまで練習をこなしてきました。辞めてしまうことは簡単でしたが、またアテネに向けて泳ぎ続けて、その結果、こうして世界新を出すことができたので、本当にたくさんの人たちの応援や支えがあって、ここまでくることができたのかなと思います。
――39秒22という記録について
正直なところもうちょっと(いいタイムを)狙っていたのですが、100分の1でも更新できたので、泳ぎ続けてよかったなと思います。
――50m自由形という種目は
一番好きな種目だったのですが、練習を重ねていくうちに(タイムが)伸びる種目が100と200ばかりで、瞬発系の50の記録が伸びなかったので、(自身がシドニーで出した)39秒23を塗り替えることだけを思って泳ぎました。今回の泳ぎこみで持久力がついてきたので、100と200は伸びがよかったのだと思います。
――34歳になっても、持久力がついてきている
そうですね。明らかにそれは言えると思います。
――技術面で何か変化は
どうでしょうか。コーチを100%信頼していたので、例えばコーチに1%でも不満が出ればこの記録はないと思います。コーチを信頼して、メニューをこなし続けた結果だと思います。
――表彰式後に日の丸と成田さんと(亡くなったライバルの)カイさんの写真がプリントされている手作りの旗を振っていたが
表彰台ではいけないのですが、今日はこの旗を持つと決めていて、メダルセレモニーが終わったら、監督にこの旗を持って降りてきてと頼んでいました。』


NEWS『アテネ・パラリンピック第11日、27日(現地時間)の競泳最終日に行われた男子50m自由形(運動機能障害4)決勝で、花田裕治が37秒54のタイムで、銀メダルを獲得した。以下は銀メダル獲得後の花田選手のコメント。
■花田裕治「今日は最高でした」
今日は最高でした。ベストを出すことができましたし、思うようなレースができたと思います。37秒台はここ2年くらい出ていませんでしたので、もう言うことないです。50は今までやってきたものをすべて出し切れたレースだったと思います。(1位になったブラジルのシルバは)素晴らしいとしか言いようがないですけど、シルバはほとんど意識していませんでした。自分の泳ぎをしたいと、それだけを考えて泳ぎました。観客が多く、歓声も大きく、いいムードに包まれて、最高にうれしいです。今まで練習してきたものをすべて出し切れたと思いますが、課題の残るアテネでした。今回、課題が多く見つかって、まだまだいけるという風に思いますので、その辺は帰ってゆっくり考えて、北京も目指したいと思います。 』


NEWS『アテネ・パラリンピック第11日、27日(現地時間)の競泳最終日に行われた女子4×50mメドレーリレー(運動機能障害)決勝、日本チーム(成田、梶原、奈良、藤田)が3分33秒11のタイムで銅メダルを獲得した。以下、リレーメンバーの銅メダル獲得後のコメント。
■成田真由美「本当にうれしい」
このメドレーリレーは、エントリータイムからすると、銅メダルがとれるかどうかという厳しいレースだったのですが、みんなの最後の種目なので「いけるところまでいこう。後悔をしない泳ぎをしよう」とみんなで言っていました。それぞれが自分たちの泳ぎ、悔いのない泳ぎをした結果の銅メダルだと思うので、本当にうれしいです。(今後の目標は)今の目標はまだないですね。本当にこのアテネだけを考えてきたので、すぐに目標と言われても、今はぱっと浮かびません。
■梶原紀子「シドニーより何十倍も感動しました」
個人ではメダルを逃したのですが、フリーリレーと同じメンバーで、またみんなで力を出し切って、メダルを勝ち取ることができて、よかったです。(今後の目標は)まだ北京は考えていないのですが、今回、競技の中ですごく学ぶことも多かったし、シドニーのときより何十倍も感動しました。アテネでの経験を生かして、地元で水泳を続けていきたいと思います。
■奈良恵理加「感謝でいっぱい」
このリレーは、一人のメンバーが欠けても出られない種目なので、リレーでメダルがとれて、みんなに本当に感謝でいっぱいです。ここにいる柴田コーチや日本で応援してくれている皆さんにも感謝したいです。本当にありがとうございました。(今後の目標は)個人では銅メダルだったので、北京では金を目指します。
■藤田多佳子「この4人で泳げて本当によかった」
個人ではなかなかいい成績をあげられなかったのですが、リレーではみんなに励ましてもらって、メダルをとることができて本当にうれしいです。この4人で泳げて、本当によかったと思います。(今後の目標は)私もまだ何も考えていないのですが、シドニー以降4年間努力してきたこと、この大会のことを自分なりに考えて、水泳はもちろん続けていくとは思いますが、水泳だけじゃなく、これからの人生に役立てていきたいと思います。』


NEWS『アテネ・パラリンピック第11日、27日(現地時間)の競泳最終日に行われた男子4×50mメドレーリレー(運動機能障害)決勝、日本チーム(江島、鈴木、前田、花田)が2分42秒52のタイムでブラジルに次いで2位となり、銀メダルを獲得した。以下、リレーメンバーのレース後のコメント。
■江島大佑「今まで泳いだ中で一番よかった」
先日、足の薬指を怪我して、昨日からレース直前まで冷やしていたという状態で、ベストが出るかどうかわかりませんでしたが、結果的にベストが出すことができました。気合でした。歩けなくてもメダルをとりたいと思っていました。手のかきやピッチもよかったし、今まで泳いだ中で一番よかったと思います。アテネの舞台での銀メダルはすごくうれしいです。
■鈴木孝幸「自分の泳ぎができた」
自分の泳ぎができた。それが結果につながったので、すごくうれしいです。決勝は、予選と比べて緊張しましたけど、予選と同じ泳ぎができたと思います。個人種目でも目標を達成できましたし、非常にいい大会でした。学ぶこともあったので、またこれからの練習につなげていきたいと思います。
■前田大介「メダルをとれたこと自体がうれしい」
(金もとれそうだったが)メダルをとれたこと自体がうれしい。最悪、銅でも喜んだと思います。
■花田裕治「チームワークでとれたメダル」
最高でした。もう今日は最高ですね。(大きなストロークが持ち味だが)50で勝つためにピッチを上げる練習をかなりしてきているので、それが生かされたなと思います。個人の種目は自分との戦いだったのですが、リレーは1人1人が引き継いで、4人の力が一丸になっていないといいタイムを出せませんから、4人で「とにかく予選どおりの泳ぎでいこう」と言い合って、チームワークでとれたメダルだと思います。』


NEWS『アテネ・パラリンピック第11日、27日(現地時間)の競泳最終日に行われた女子50m自由形(運動機能障害5)決勝で、奈良恵理加が今大会の個人種目では2個目となる銅メダルを獲得した。以下は銅メダル獲得後の奈良選手のコメント。
■奈良恵理加「メダルはどの色でもいいと思っていた」
メダルを狙っていました。金を狙っていたのですが、メダルはどの色でもいいと思っていたので、うれしいです。前回のシドニーは、仕事も何もしていなくてパラリンピックに出場しましたが、今回は仕事と両立して練習してのパラリンピック出場で(生活に張りやリズムがあって)それが好調の要因だと思います。』






09・27 昨日の長距離練習に参加された皆様お疲れ様でした。マスターズ日本記録の広瀬さんも参加。さすがにバタフライは速い!。そして武春さんの2分09秒は速かった。私もくっついていったおかげでBESTでした!!。

水泳お宝グッズ
です!!。今回は、「モスクワ五輪のピンバッチ」です!。モスクワといえば、日本がボイコットしたため、日本選手は出場していません。なので特にこのピンバッチは貴重なものと思われます。UENOさん、ありがとうございました。


NEWS
『アテネ・パラリンピック第10日は26日、当地で男女マラソンが行われ、男子視覚障害1で高橋勇市(東京)、車いす2の高田稔浩(福井)、女子車いすの畑中和(兵庫)がそれぞれ金メダルを獲得した。女子車いすの土田和歌子(東京)は銀。高田は男子400、5000メートルと合わせて3冠となった。 競泳で成田真由美(神奈川)は女子150メートル個人メドレー(運動機能障害)で2分51秒67の世界新で決勝に進出した。 車いすバスケットボールの日本女子は順位決定戦でオランダに54−52で競り勝ち、5、6位決定戦に進んだ。』


NEWS『日本勢が、100メートル背泳ぎ(視覚障害)でメダルラッシュに沸いた。チームを引っ張る河合(男子S11)が今大会4個目のメダル(銅)を奪うと、直後に16歳の秋山(女子S11)が2位に食い込み、22歳の酒井(男子S12)も銅メダルで続いた。「3人続けて日の丸を上げようと約束していた」と酒井は笑顔だった。』





09・26
 いよいよ、来週に発表します!!。

NEWS
『アテネ・パラリンピック第9日の25日(現地時間)、競泳女子100メートル背泳ぎ(視覚障害1)の秋山里奈が1分23秒63のタイムで銀メダルを獲得し、男子100メートル背泳ぎ(視覚障害1)の河合純一と男子100メートル背泳ぎ(視覚障害2)の酒井喜和も銅メダルを獲得した。秋山、酒井は筑波大学付属盲学校に在学中で、河合は同校出身。このパラリンピックに向けて、この半年間、ともにトレーニングをしてきた3人が揃ってメダル獲得という快挙だった。以下は、河合、秋山、酒井選手、寺西コーチのコメント。
■河合純一 「やるだけのことはやりました」
(銅メダルという結果について)午前の予選ではバックの泳ぎを見失いかけていたので、そこから戻して、なんとか3位に食い込んだことは自分なりには評価しています。バックでは競るとみんな手を外にかくので、コースロープ沿いで、かいたりかかれたりという競り合いになるのですが、それが嫌いなので離れて泳ぐという作戦でした。こういう結果は残念ですけど、やるだけのことはやりました。(秋山里奈が銀メダル獲得して)よかった、よかった、里奈、すごい。レース前は「一緒に頑張ろうな」と会話しました。「よかったね、おめでとう」と言いたいです。
■秋山里奈 「今までで一番緊張しました」
(決勝は)後半にいつも落ちるので、前半はとにかく抑えていきました。ターンもうまくいったので、ベストは出せるかなと思いました。プールから上がったときにみんなが「おめでとう!」と言ってくれて、「もしかしてベストは出たのかな」と思いましたが、寺西先生が「銀だぞ!」と言ってくれて、そこでわかりました。今までエントリーしたレースの中で一番緊張しました。(控え室では)緊張しているから、河合さんがおもしろいことを言ってくれました。河合さんが銅メダルをとったので、私も続きたいと思いました。(メダルの感触は)今まで河合さんとかに触らせてもらったんですけど、すごくいいですね。日本に帰って、(小谷)実可子先生にも、自分も銀メダルをとれたと見せにいきたいですね。
■酒井喜和 「3人で日の丸をあげようと誓い合っていた」
決勝は周りが速いのはわかっていました。最初からいかないと、相手がいくら後半落ちても追いつけないと思っていたので、最初からいきました。(レース前に秋山さんには)「とにかく今までやってきたことを信じて頑張ろう」と声をかけました。ずっと前から「(河合、秋山、酒井の)3人で日の丸をあげよう!」と誓い合っていたし、今日もミーティングで言っていたので、一番下だけどあげられてよかったです。自分一人の力でやってきたわけではないので、ここまで支えてくれた人たち、会場に来てくれている人たち、日本で応援してくれている人たちに感謝したいです。次はメドレーリレーなので、また一生懸命泳ぎます。
■寺西真人コーチ(筑波大付属盲学校教諭)
ここ半年くらい、河合、秋山、酒井の3人とも一緒に、ほぼ毎日練習していました。9月25日のプログラムが出た時点で、「真ん中に日の丸3本」という目標を決めていたんですよ。真ん中ではなかったけど、3本あがったので、僕は満足しています。酒井もやっと復活してきたし、秋山も頑張ってくれたから。北京では“4連発”をやりたいですね。 』


NEWS『競泳男子100メートル自由形(S11)で、河合が0秒07差で金メダルを逃した。75メートル付近から追い上げたが、タッチの差で及ばなかった。「ここ数年出ていないタイム(1分0秒86)を出せたが、残念。また明日頑張る」と、金メダルに執念をのぞかせた。』


NEWS『4人の足の親指のつめには、日の丸のペイントがある。「心を一つにしよう」。成田がレース直前の昼、塗って回った。4人で戦う女子200メートル自由形リレー。第1泳者の奈良(S6)が、飛び込んだ。シドニー大会では重圧で体調を崩し、途中帰国した。「みんなに迷惑をかけた」。それから4年。100メートル自由形で銅メダルを獲得するまでに成長した26歳は3位でつないだ。「酸欠になって」。渾身(こんしん)の泳ぎだった。第2泳者の梶原(S5)は唯一、シドニー大会のリレーメンバーではない。この日、得意の100メートル平泳ぎでメダルを逃していた。「悔しさをリレーにぶつける」。重圧と闘いながら、首位を奪った。力を出し尽くした37歳も、レース後、スタッフに介抱された。後輩の泳ぎに、第3泳者の藤田(S5)は奮い立った。チーム最年長の45歳は、責任感にあふれている。「シドニーで出した世界記録を縮めてみせる」。抜かれたものの、差を1メートルにとどめる粘りだ。2位でエースに引き継いだ。最終泳者の成田(S4)には不安があった。4個の金メダルを手にしているとはいえ、「他のアンカーが、S6とかS7とか障害の軽い選手だった」。だが、女王の誇りがある。ピッチを上げた。ラップは自己新の39秒12。障害の違いを越えて首位でゴールした。4人が電光掲示板を見つめた。3分0秒62。世界新記録だった』




09・25 先日の「あらいSS★5周年記念フェスティバル」の写真をUPしました。ちょっと、背景と、フレームに、こってみました…。自分としては、きれいなかな〜なんて。第一部の運動会編の写真が、あまりにないので、もし撮っていた方がいましたら、送ってください!!。


NEWS
『アテネ・パラリンピック第8日は24日、当地で陸上などが行われ、男子800メートル(車いす3)予選で安岡チョーク(大分)がパラリンピック新の1分34秒59で25日の決勝に進出した。男子100メートル(車いす2)の寒川進(京都)は落選。 競泳男子100メートル自由形(視覚障害1)の河合純一(静岡)は決勝進出。女子100メートル平泳ぎ(運動機能障害1)の梶原紀子(福岡)も予選を突破。男子400メートル自由形(運動機能障害4)に出場した13歳の山田拓朗(兵庫)と崎本龍司(広島)はともに落選した。 ゴールボールの日本女子はドイツを6−3で破り、通算3勝2敗とした。』


NEWS『スタートで出遅れた。でもあきらめなかった。「まわりを気にせずにいくのがぼく」と自分流を貫いて、競泳男子50メートル平泳ぎの軽部弘が銅メダルを獲得した。 21歳の時、交通事故で下半身まひに。「足の使えない自分が水の中でどうなるか」。好奇心から始めた。「長女に頑張る姿を見せたかった」。父親としての願いもかなった39歳は満面の笑みになった。(共同)』


NEWS『アテネパラリンピックの競泳男子100メートルバタフライ(視覚障害1・S11)で21日、全盲のスイマー河合純一(29)=静岡県舞阪町=が銀に輝いた。彼の泳ぎを支えるのは筑波大付属盲学校の恩師・寺西真人さん(45)だ。河合にとって4回目となった今大会、寺西さんはコーチとして初めて一緒にレースに臨んだ。「金を取らせるために来た」。24日の100メートル自由形で世界一を狙う。バタフライで向かってくる河合が25メートルを超えたあたり。手に持った棒を小刻みに振り、タイミングを取り始める。壁の直前、コツンと頭をたたくと河合は滑らかにターンし、次の50メートルへ。タッピング。視覚障害者の水泳では選手がターンする際、頭を棒でたたいて合図する。寺西さんにとって河合と一緒に、パラリンピックに出場することは悲願だった。河合と出会ったのは14年前。一から水泳を教えた。92年、河合がバルセロナパラリンピックに出場を決めたとき、「当然、一緒に行けるだろうと思っていたら、コーチの人数制限で入れなかった」。アトランタ、シドニーも涙をのんだ。「自分で育てた選手の頭をたたきたい」。今回はコーチ枠が広がり、夢が実現した。タッピングのタイミングは微妙だ。遠くでたたくと選手は壁をけることができない。近くでは、ひざが曲がってしまう。ベストのタイミングは指3本の範囲。はずすと2秒、3秒とタイムは大きく崩れる。日々繰り返した練習。一緒に長年やってきたからこそ、わかる感覚がある。「一般のスイマーと違って、彼らはちょっと特殊なところで戦っているんです」全盲の選手は前が怖くてどうしても手をそらせてしまう。よっぽど経験を積んだ選手でも、レースでは力んで曲がる。だから、選手は泳ぎながらひじをコースロープに当てて位置を確認する。「こうした泳ぎがすべてうまくいって、最後にタッピングがある。失敗すれば、選手の努力は台無し。怖いですよ」アテネ入りしてタッピングの調子はいい。「あいつと一緒に出場するのは僕自身も夢だった。今回が集大成です」と寺西さん。河合が応じた。「寺西さんがいると楽しい。結果を出さないと申し訳ない」』


NEWS『山形市のJR北山形駅前にある小便小僧が、アテネ五輪水泳で大活躍した北島康介選手の格好をし、道行く人たちの人気者となっている。
この小便小僧は、山形女子専門学校の学生たちが、季節に合わせたお手製の衣装を着せ飾ることで有名。先月のアテネオリンピック前に、競泳パンツ姿に変身。北島選手が百メートル、二百メートル平泳ぎで優勝、さらにリレーでも3位となったことから、頭にオリーブの冠が載せられ、新たに2個の金メダルと1個の銅メダルが“授与”された。世界一の姿となった北島小僧。「チョー気持ちえー」と、高らかに放水しているという』







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