千葉すず
ちば すず





なぜ彼女がすごいのか?

千葉すずは女子の自由形で日本で初めて
世界のトップレベルに到達したスイマーです.
千葉選手以前の女子で国際大会の決勝に進んだのは
1936年ベルリン五輪の小島一枝選手の6位が最高。


では千葉選手のこれまでの生い立ちを紹介します.




出来事
1975 11日横浜市保土ヶ谷区に誕生
1980 サンフィッシュ仙台SSで水泳を始める
1982 仙台市大野田小学校入学
1986 JOで200m個人メドレー2位
1988 仙台市富沢中学校入学
仙台イトマンSSに移籍
10 大阪イトマンSSに水泳留学。近大付属中学校へ転校
1989 日本選手権 200m自由形 優勝
1990 JOで400m自由形短水路日本記録を樹立
日本選手権3冠(50m、100m、200m)達成!!
アジア大会(北京) 200m2位。100・400m3位
1991 世界選手権3位。五輪、世界選手権で日本人女子自由形で初のメダル獲得!!.100m・200m日本新。400mアジア新。
近大付属高校入学
日本選手権200m・400m優勝
パンパシフィック200・400m銅メダル。100m4位
1992 日本選手権100m・200m・400m優勝
バルセロナ五輪出場。100m9位。200m6位。400m8位。
1993 JOで100m・200m・400m・で短水路日本記録樹立
日本選手権100m・200m・400m優勝
パンパシフィック200m(初の2分を切る)・400m銅メダル&日本記録
1994 近大付属高校卒業
日本選手権100m2位・200m・400m優勝
世界水泳100m7位。米国留学。golden west swimming club移籍
10 アジア大会400m1位。200m3位。
1995 日本選手権100m優勝。200m・400m2位
パンパシ200m金メダル。100m銅メダル。
1996 全米選手権200m優勝。100m・400m2位。50m3位。
日本選手権100m・200m優勝・400m2位
アトランタ五輪。200m・400m予選落ち
1997 11 アメリカの永住権取得。
1998 現役復帰宣言。練習開始。
1999 3年ぶりの日本選手権100m・200m優勝(日本新記録)
2000 日本選手権200m優勝・100m2位。
100m・200mの日本記録保持者。そして選考会となった日本選手権で優勝したにもかかわらずシドニー五輪代表に選ばれず。



1977年
2歳

すでにプールで遊んでいる。
1980年
5歳

サンフィッシュ仙台SSで水泳を始める
1986年
10歳

JOで200m個人メドレー2位
首から下げているのがメダル。
1991年
15歳

世界選手権3位。
五輪、世界選手権で日本人女子
自由形で初のメダル獲得!!.
100m・200m日本新。
400mアジア新。
1992
16歳

日本選手権100m・200m・400m優勝
バスセロナ五輪代表
このときすでにマスコミは大騒ぎ。
「千葉・金メダルなるか!!」
1992
16歳

バルセロナ五輪出場。
100m9位。200m6位。400m8位。
冒頭にも書いたが日本人で自由形で
決勝に残っれたことが
すごかったのです。しかも日本新記録。
なのにマスコミは「千葉・メダルならず!!」「千葉残念!!」と報道。ちっとも残念な
ことではないのに。これがきっかけで
マスコミ嫌いに…。
1992
16歳

バルセロナ五輪メドレーリレー。
予想をしていなかった
「岩崎恭子が金メダル」
期待していた「千葉がメダルならず」
と報道。
1993
17歳

パンパシフィック200m
(初の2分を切る)・400m銅メダル
&日本新記録
1994
18歳

日本で大学に進学せず。アメリカへ。
アジア大会400m1位。200m3位。
1995
19歳

アメリカで練習。試合は日本。
パンパシ200m金メダル。
100m銅メダル。
ついに国際大会初の金メダル獲得。
1996
20歳

全米選手権200m優勝。
100m・400m2位。50m3位。

全米デビュー。
1996
20歳

アトランタ五輪。200m・400m予選落ち
五輪日本選手団のキャプテンとなったが、アメリカで知った「楽しく泳ぐ」を他の日本選手に教え、特に女子選手たちは緊張感をなくし、アトランタ五輪は水泳のメダルゼロ。これは確かにそう感じた。すっかりマスコミ嫌いになった千葉のコメントはひどいもの。「楽しけりゃ結果なんてどうでもいい」というような感じ。
1996
20歳

五輪直前までランキング3位以内にいた選手が大勢いたにもかかわらずみな失速。でも会見では落ち込んだ様子もない。みな同じ言葉「楽しかったです」
1998
22歳

現役復帰宣言。練習開始。

完全に現役から離れ、アメリカで子供を指導。
この3年の休養が良かったのだろう。
以前のようなピリピリした感じがなくなった。
1999
23歳

3年ぶりの日本選手権100m(日本新記録)

1999
23歳

3年ぶりの日本選手権200mも(日本新記録)
千葉すず完全復活!!。
2000
24歳

シドニー五輪代表選考会となった日本選手権で200m自由形優勝。
しかしシドニー五輪代表に選ばれず。
2000
24歳

あとからとってつけたような理由で
千葉が代表漏れした理由を伝えたが、
日本水泳連盟は、アトランタ五輪で千葉をキャプテンにしたことで他の選手に悪影響と考え代表に入れなかったのだ。


私の考える「千葉すず選手」

こんなに若くして色々とドラマがあった選手は珍しい。
私が考える千葉選手は、彼女は水泳が速いだけでなく
非常に美人であるがゆえに、マスコミが飛びついてきたのです。
日本のマスコミの悪いところは「やりすぎ」てしまうところ。
始めは騒いで、持ち上げて、とことんついていって、
そのうち、あら探しを始めて、追い詰めて、ダメにしてしまう。
彼女がシドニーの代表になれなかったのも、
アメリカに行くことにしたのも、
全ては日本のマスコミのせいだと考えます。
バルセロナ五輪の時に、ほんの少しでもマスコミが
「千葉、日本新!!。日本人女性初の自由形で決勝進出!!」
と取り上げていたら、彼女はアメリカに行くこともなかっただろうし、
アトランタでももっと盛り上げてくれただろうし、
シドニーで代表にもなれたと思います。
「千葉選手を追いやったのは古橋だ!!」
みたいに思っている人が多いようですが、
私は全てマスコミのせいだったと考えます。

シドニー五輪の代表選考に関しては
やはり千葉選手を出すべきだったと思います。
アトランタ五輪のことで水泳連盟が
とっても千葉選手を入れたくないのは分からなくもないですが、
速い選手が代表になれないのはおかしいことで、
他の選手の気持ちを盛り上げるのはコーチ監督の責任ですから、
他の選手がやる気をなくしたことを千葉のせいにするのは
コーチ、監督として恥ずべきことです。
千葉選手はそれだけコーチや監督以上に
選手に対して信頼と影響力があったということでしょう。
とにかく、こんなに天才的な選手なので、もう一度復帰して欲しいものです。



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